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進歩を止めるもの

兵書『六韜』の一の「分韜」に「善を見て而も怠り、時至って
而も疑ひ、非を知って而も処る。この三者は道の止む所なり。」
とある。この三っがあると、進歩が止まってしまう。
善を見て怠り、時機というものを見ながら、決断がつかぬ。時機
というものは、のべつ幕莫しあるわけではない、必ず機というも
のがある。だから時機という。
人間の生命にも必ず機というものがある。つまり、そこを押さえ
たらそれが他の部に、また、全体にひびく所と、一向何にもひび
かぬ所がある。つまり、「ツボ」「勘どころ」というものがある。
時というのはそういうツボ、勘どころの連続である。
この頃、連続・非連続ということが使われるが、時というものは
機とというものの連続である。だから時というものをとらえよう
と思うなら、機をとらえなければならない。これを一度逃がして
しまえば、なかなか始末のわるいものである。
その時が至っておるにもかかわらず、疑って、まだ時期が早いと
か、やれ反作用がどうだとか言って、ぐずぐずする。
それから非、悪いと知りながら、何もせずにおく。この三つがあ
ればどうしても進歩が止まってしまう。
「非を知って而も処る。」ナショナリスト、軍人、政治家、戦争も
政治も、これで誤ったわけである。
『醒睡記』より