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筑後国一の宮  高良大社


筑後平野を一望のもとに見おろす高良山。そこは古より、宗教・文化の中心として、また軍事・交通の要所として重要視され、景行天皇・神功皇后・懐良親王(かねながしんのう)・豊臣秀吉等国づくりの歴史の舞台でもあった。高良大社はその中腹に鎮座されている。
当社主祭神の高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)は、「高良記」によれば、異国の兵が九州を攻めた際に、神功皇后が筑紫国四王寺峯にてお祈りをされると、東方より白雲が現れ四方に開き、月の光と共にご出現された神とあり、戦勝を導かれた。相殿の八幡大神は神功皇后の御子応神天皇の御神霊であり、住吉大神は主祭神と同じく四王寺峯にて金星の光と共にご出現された。この三座を高良三所大神として古くより筑紫国を始め、人々の生活のあらゆる守護神として、殊に厄除開運・延命長寿・方位除けに霊験著しいと篤く信仰されている。
当社は、古くは「玉垂宮」「高良玉垂宮」「高良玉垂命神社」と称され、神階は正一位にて皇室の御尊崇篤く鎌倉時代まで御社殿の御造営は勅裁により行われ、筑紫国一の宮・九州総社・鎮西十一ヶ国の宗廟と称えられてきた。文永・弘安の蒙古襲来には勅使参向され、蒙古調伏の折には「天下の天下たるは、高良の高良たるが故なり」と綸旨を賜ったと伝えられている。
当社例祭(高良山くんち)(九日~十一日)は重陽(ちょうよう)のお祝いと秋の収穫祭が結びついたもので、一年の中で最も重要な祭典であり、江戸時代には久留米藩主の参拝があった由緒あるお祭りで、筑後平野の人々にとっては秋一番の楽しみでもあった。現在も一年間の感謝と更なるご神徳を祈願し、謡曲、神楽や獅子舞、舞楽、奉納武道、奉納相撲、競射、神輿、山車、仮装行列など数々の神(しん)賑(しん)行事が催され、多くの参拝客で賑わうこととなる。
高良大社由緒より