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知知夫国の総鎮守 秩父神社

秩父盆地は周囲を秩父山地に囲まれ、中央部は古代より政治・経済の中心地として開かれ、その総鎮守と篤い崇敬をうける秩父神社は、清新の気あふれる広大な神域「柞(ははそ)の森」を背後に控え鎮座されている。
当社は平安初期の「先代旧事紀―国造本紀」によれば、第十代崇神天皇(約二千百年前)の御代、知知夫国の初代国造に任ぜられた知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が、祖神である「八意思兼命(やこころおもいかねのみこと)」(政治・学問・工業・開運の祖神)をお祀りしたことに始まる。更に第十九代允恭(いんぎょう)天皇(約千六百年前)の御代に九世の子孫が「知知夫彦命」(秩父地方開拓の祖神)を合わせ祀ったと伝わる。鎌倉時代には「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」を北辰妙見と習合して祀り、近代の昭和二十八年には昭和天皇の弟宮様「秩父宮雍仁親王(やすひとしんのう)」が合祀された。
ご社殿は、戦国末期焼失したものを、天正二十年(一五九二)九月、徳川家康公の命により再建されたもので、本殿・幣殿・拝殿の三棟からなる権現造りは、極彩色に彩られた数多の彫刻群に覆われた豪華な造りとなっている。
社殿北側の彫刻「北辰の梟(ふくろう)」は、体は南、頭は真北を向いて、思慮深く昼夜を問わずご祭神をお守りし、東側の彫刻「つなぎの龍」は名工、左甚五郎が施したものと伝えられ、西側には「お元気三猿」が(よく見て・よく聞いて・よく話す)元気な姿で彫刻されており、南側の「子宝・子育ての虎」は、子育ての大切さを左甚五郎が彫刻に込めて表現したものと伝えられている。
秩父夜祭(国指定重要無形民族文化財))は京都祇園祭・飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭りの一つに数えられ、十二月三日の例大祭には、豪華な笠鉾と屋台が、勇壮な太鼓囃子にのって曳き廻され、屋台歌舞伎や曳き踊りを上演し、神幸祭では、冬の夜空に華麗な打ち上げ・花火の競演で祭りは最高潮を迎える。
秩父神社由緒より