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読 書

徳川時代から明治にかけて特に流行った書の一つに『世説新語』がある。
これを読むと、人間とはいかなるものか、如何にあらねばならないかという
ことが、おもしろくわかってくる。

読書・思索は無心でやるのが良い。金剛経にいう、“無住心”だ。ためにする
ところがあると、折角の読書・思索も害になる、少なくともわずらいになる。

読書はただ読むだけでは駄目で、読みながらもその本を自己内部で賦活する
必要がある。これを活読という。読みっぱなしならば、むしろ本に読まれて
いることになる。

昔の学生は大部の書を読むことを一つの楽しみとし、誇りとした。
『史記』や『資治通鑑』などはその格好の材料だ。良い意味での猛気といっ
ていいが、この気魄がないと学問もものにならない。

古人は読書の方法として三上を説いた。
一つは馬上、今なら車上。
二つは枕上、特に語録などは眠りを清くする。
三つは厠上、便所の中だ。これだけでも大した学問ができる。
本を読む暇がないというのは読まないだけのことだ。

世人は多く博学と雑学とを混同する。数多の書を読み、その間に何らの脈絡
の無い知識を豊富に持ったところで、それは要するに雑学である。
博学とは一つの根源(緒)いちぐちから脈絡・順序を追って学的・人間的成長
を遂げることをいう。
だから論語一巻から始めて儒仏道に通じ、東洋文化というものを究めることも
できる。

照心語録より