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敬と恥

敬と恥とは儒教の根本観念である。“敬”は人間がより偉大なるものの引接
に会うて自ずから発する心であり、これと相待って自らを省する所に生ず
る心を“恥” という。この敬と恥の本能が、人間の学問・文化を発達せしめ
て来た。

ただ“敬”は厳粛なものである。我々が“敬”を持ち続けることは不断の努力が
要る。不断に自己が進歩・向上しようとする本能を長養しなければならぬか
らである。

敬する心がどちらかといえば理想主義的であるのに対して“恥”は現実的であ
る。 恥じるという心は誰もがそのままに、その場で持ち得るものだからだ。
人間にとって最も根本的な衝動といってよい。

孔子は多く“敬”を説いたが、孟子は“恥”を力説した。人間は恥じる心を養い
さえすれば、どうにか救われる。だがそれを失うと、人格として致命的な欠
陥であることを知らねばならない。

家庭における子供の教育に父の責任が重要視されるのは、父が子にとって敬の
対象だからである。
子供は愛によって育つが、人格として成長するためには必ず“敬”が要る。子供
ほど純粋に敬する者への憧れが強いためだが、父は父らしく、子供が自然に尊
敬するような存在でなければならない。

照心語録より