時代は変革する創造的力は大衆には無い。全ては個にそして核になるほど 偉大なエネルギーをもつように、時代も個人の力を通してのみ創造・建設 され得る。我々の学問とはこの個の力をなす核を学ぶことに他ならない。 学問は古今東西に渉るべきものだが、余程注意して内面的必然から辿って ゆかぬと、雑学になる。 真に学問しようと思ったら仲々骨がおれるだが、それをおっくうがってい ては駄目だ。 夢中に学問しているとすぐに時間がたつ。そこで夜も更けたから寝ようと いうのでは大抵駄目になる。 『論語』に「朝に道を聞く、夕に死する、可なり」とは決して単なる形容 詞ではない、本当のことだ。 心身にこたえるし、明日が大変だと思っても、やってしまうだけの勇気を 持つことだ。“不惜身命”というが、学問でも芸術でも何でも同じだと思う。 その一方で我々は常日頃から、そうした多少無理な努力にも堪え得るだけ の用意をしておくことも必要だ。むざむざ病気などしては遺憾なこと。 人生の一妙味といってよいが、そこにも自分を造ってゆく作業、獨の世界 がある。 『照心語録』より
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関西師友誌